「郷土料理には、暮らしの知恵が詰まっている。未利用魚を手軽においしく食べる工夫もそこから拾っていけるはず」
C-BlueインタビューVol.12は、「八雲茶寮」料理長の梅原陣之輔さんです。長年、ライフワークとして各地の食文化や郷土料理を掘り下げてきた梅原さんは、そこに人々の暮らしの知恵と工夫を見出してきました。そして、海の資源を守っていくためのヒントも隠れていると考えています。
2006年のオープンから8年間、梅原さんが料理長を務め、現在も顧問を続けている「坐来大分」。レストラン型アンテナショップの先駆けである同店では、料理人もサービスマンも「語り部」として大分の魅力を伝える役割を担ってきました。そこで梅原さんが大切だと感じていたのは「純粋性」だと言います。大分の気候風土を愛する気持ち、生産者へのリスペクト、そして食材のすばらしさをお客様に知ってもらいたいという強い思い。
中でも梅原さんにとって特別な思い入れがあったのが、関アジと関サバです。瀬戸内海と豊後水道の狭間に位置し、潮の流れが速く、身の引き締まった魚が獲れることで知られる豊予海峡。ここでは昔からアジとサバの一本釣りが行われてきました。「一つの船が魚を独占することがないよう、何隻も連なって、流されながら釣っていくんです。持続可能であり、公平性という意味でも優れている。佐賀関の漁師たちの生き様を感じます」。
魚に与えるダメージを極力減らすため、漁協の職員が船内の生簀で泳ぐ魚の重さを目視で判別して値付けする「面買い」も伝統的に行われてきました。また魚のストレスを落ち着かせるため1日生簀で休ませ、活〆と神経抜きを行い、鮮度をキープしたまま出荷。「坐来大分」では、それを航空便で当日中に銀座に運ぶことで、現地で食べるのに限りなく近いおいしさを実現させました。
そんな関アジ・関サバも資源量は減少の一途をたどっています。関サバに至っては1992年のピーク時から8割も減っています。
「資源を守り、魚の価値を高めていくのは、誰か一人の力ではできません。漁協や行政だけの問題でもない。語り部としてできるのは、生産から流通、お客様のもとに届くまでを一連の流れで見せていくことだと考えていました。
料理人が連携することでその声はさらに広がっていきます。Chefs for the Blueも海の未来を思うシェフたちの純粋性の高い活動です。メッセージを伝えていく上でそれに代わるものはないと思っています」。
現在、料理長を務める「八雲茶寮」では、日本文化の発見と創造をコンセプトに掲げ、茶、菓子、空間、道具、所作や作法などと共に、“現代の日本食”を追求しています。
SIMPLICITYの活動として続けている「FOOD NIPPON」では、日本各地に受け継がれてきた郷土料理や食文化に注目。コース料理や講座を通じて、その豊かさを発信してきました。梅原さん自身も足繁く現地に足を運び、家庭料理を教わったり、郷土料理の研究家の案内で漁港や生産者を訪ねて回ったそうです。
「郷土料理には、風土から生まれた暮らしの知恵や工夫が詰まっているんです」と梅原さん。
たとえば大分県佐伯市には、『胡麻だし』という伝統的な調味料があります。大量に獲れたエソやアジを焼いてすり鉢で当たり、胡麻と醤油やみりんで味付けして保存する。茹でたうどんにのせてお湯をかければ、忙しい仕事の合間の昼食になります。
エソは昔からこの地域ではよく獲れた魚ですが、小骨が多く、高値で取引されることは多くありませんでした。お金にならない魚を無駄にせず、日々の食事に生かす工夫として生まれたのが、胡麻だしだったのです。
「こうした港で捨てられるような魚、いわゆる未利用魚を食べる工夫は日本各地にあります。いちいちおろすのが面倒だから、刻んだり丸ごと揚げたりする。内蔵だけ取ったら上から包丁でバンバン叩いて、身が柔らかくなったら中骨をビリビリっと外しているお母さんもいましたよ。多少細かい骨が残っても、『それはカルシウムになるから』と言ってしまうくらいのおおらかさで受け流す。それが本来、“食べる”ということだと思うんです」。
海の資源を守るためには、地元の魚への注目を高め、未利用魚の魅力を再発見して広めていくべきだと梅原さんは考えています。
「そのとき、いかに手間をかけずにおいしく食べるか、という知恵も一緒に拾っていかないといけないと思います。目の前の海で揚がった流通にのらない安い魚を、昔の人たちは上手に食べてきました。その工夫こそが魚を食べる楽しみであり、レクリエーションだと捉え直せば、それは都会の人がうらやましがる地域の価値にもなっていくはずです。
最近は、環境への意識が高く、地域の食文化を継承していくことに熱心なシェフも増えています。都市部の料理人と地方の料理人が相互に知恵や情報を共有し、全体知としていければ、魚を取り巻く食文化がより豊かなものになっていくのではないでしょうか」。