
「淡水魚だけを使っていた時期があります。海の資源量への配慮もありましたが、自分の価値観を変える“美味しさ”に出会いたかったからです」
北海道・十勝地方を拠点に活動する中村拓登さんは、フレンチレストランや「八雲茶寮」で働いたのち、2019年から5年にわたり「サーモン アンド トラウト」でシェフを務めてきました。独立後のいまは、十勝にある研究施設「memu open research campus」で研究員として働きながら、「中むら食堂」の屋号で料理人としても活動を続けています。Chefs for the Blueの発足時から活動にかかわる中村さんに、現在の活動や思いについて聞きました。
料理の世界に入って24年。中村さんの日々は、父親と同じ料理人を志したころに描いた未来とはずいぶん違います。東京から十勝に移り住み、いま一緒に働くのは大学の教授や建築家、音楽家、デザイナー、猟師、農家など幅広い分野の専門家たち。それぞれの視点から地域資源を「再読」し(再び読み解き)、現代また未来の社会でそれを生かすための研究をしています。
中村さんはどんな研究をしているのでしょうか。
「料理が趣味や嗜好のものとして消費されがちな時代に、料理は本来どこに位置するものなのかを考えています。暮らしや人の営みの流れのなかにある料理を、過去への回帰ではなく、いまの社会の文脈でどう再解釈できるのか。研究者や異分野の人たちと議論しながら探っています」
料理を「生活」の視点から見つめ直す中村さんは、食文化やサステナビリティについて「生活の延長線上にあるものが積み重なって成り立つもの」と話します。お客さんに料理を提供する機会は少なくなったそうですが、中村さんの軸が「料理」であることはいまも変わりません。
中村さんは、Chefs for the Blueで漁業の専門家たちの話を聞くなか、「人に何かを説明するときに、漠然と説明せず、数字を示し、情報源が信頼できるかを確かめるようになった」と話します。料理に使う魚も変わりました。
前職の「サーモン アンド トラウト」では、海の魚を使うことはほとんどありませんでした。
「川魚や湖の魚を使っていました。海の魚を使わない料理人がいてもいいじゃないかと思い、振り切ろうと決めました」
それはちょうど、「美味しいとは何か」を自問自答していた時期でもありました。たとえば、有名なシェフがつくった、名産地でとれた、という情報があるだけで、お客さんが感じる美味しさは何倍にも膨らむことがあります。淡水魚を選んだのは、多くの人がその味や美味しさをすでに知っている海の魚ではなく、あまり知られていない、そして中村さん自身もまだ知らない「美味しさ」を追求するためでした。
中村さんの話を聞いていると、常識にとらわれない力を感じます。その原点には、若い頃に味わった挫折がありました。
「料理人になったばかりの22歳のころ、職場に馴染めず、料理人を辞めたいと思った時期がありました。辻調グループのフランス校にまで通わせてもらいながら、早くに辞めるのは周囲から見ても『もったいない』ことです。そう悩んでしんどかったとき、友達から『料理をやっているだけがお前じゃないんだから、辞めてもいいんじゃないか』と言われて救われました。料理人であることが自分のすべてではない、自分だからこそ何かができるのだと思えたことは大きかったです」
そのころ、茶道の先生からも「生きているだけで楽しい」と教わり、世界の見え方が変わったといいます。
「先生は都会の喧騒のなかでも、公園を歩くときも、お茶室へ向かう路地でも、立ち止まっては風や光、草花や鳥の声に目を向けていました。特別な場所に行かなくても、世界はすでに豊かだと教えてくれました」
茶道との出会いは、フランス料理の道を歩んでいた中村さんが日本料理へと転向するきっかけにもなりました。
中村さんが暮らすのは十勝地方の沿岸部にある広尾町。タラやサケ、毛ガニ、コンブなどの水揚げで知られる地域です。「タラコをたくさんもらったので、さっき洗って血抜きをして塩に漬け込んだところです」
広尾では、漁師さんと漁に出たり、コンブ漁師さんが受け入れている東京海洋大学の学生たちと交流したりすることもあるそうです。今後は、漁師さんと一緒に、地元の高校生が漁業や海の資源について学べる機会をつくっていきたいと話します。
中村さんは、持続可能な漁業を実現するには、地方の料理人や漁業関係者がどう向き合うかが鍵になると話します。
「現地で時間をかけて関係を築き、そこで暮らす人たちの生活を守りながら、水産資源の現状にも目を向けられる環境をつくる必要があります。そのきっかけは、昔からある風習やお祭りにあるかもしれません。そうした営みのなかでコミュニティをつくりながら、地域に合った形で変わっていければいいと考えています」