プロローグ「ディストピア魚屋」

「いらっしゃいませ、ようこそレストラン『あおのいま』へ。まずはこちらをご覧ください」

ここは、全国から選抜された学生達が「海の未来をつくるレストラン」を企画・運営する3ヶ月プログラム、「THE BLUE CAMP / ブルーキャンプ」東京チームのポップアップレストラン会場。

階段をあがった先に待ち受けたのは、「ディストピア」と名付けられた魚屋でした。魚の姿はなく、置かれた発泡スチロールには、「マイワシ89%減」「サンマ96%減」などと書かれた札が並びます。この数字は、それぞれの漁獲量がピーク時からどれだけ減ったかを表すもの。日本の水産資源の現状を真剣な面持ちで話す高校生を前に、待合室は張りつめた空気に包まれます。

凛々しいまなざしと、堂々とした声でお客様を出迎えたのは、高校生のさおり。自分よりずっと年上だったり、遥かに知識やスキルを持った人たちの中で、新たな分野を学び、自分の可能性を試してみたいという進取の気性を持って、このプログラムに挑みました。高い志と武器である高い言語化能力を生かし、議論の場では、物怖じせずに意見を出し、チームを前に進めてきました。


レストラン会場へ

ディストピア魚屋からレストランに向かう扉が開き、来場者はダイニングルームへ案内されました。

「いらっしゃいませ!」

初日は、その一言にも緊張感が漂いましたが、最終日にもなると、ホール、キッチンともに自信と活気に満ちた声が響きます。その中でも、突き抜けるような明るい声で会場の雰囲気をぱっと明るくしてくれるのが、りさ。

鮨屋を家業とする家庭で生まれ育ったこともあり、魚の美味しさを熟知している一方、「私はいつまでこの美味しい魚を食べられるのだろう」という葛藤に、常に向き合ってきたりさ。食の未来に連なる様々なプロジェクトにも挑戦している彼女が持つ、クリエイティブな視点と湧き出るアイディアが、このチームにしかできないレストラン設計を支えてきました。

りさの挨拶に続き、客席には、大学で水産研究をしているワク、幼いころから登山に親しんできたえこが、お客様と並んで着席します。

「皆さまと、コースを伴走させていただきます、野口絵子です。今日は、私たちが3か月間で得た学びや、料理に込めた思いをこの場で皆さんと共有できたらと思います。どうぞ、よろしくお願いします」

幼いころから登山に親しんできた、えこ。山が身近であった分、海とは少し距離があったというえこは、地球を全体として大きく捉え、学び理解したいという思いを持ってこのプログラムに参加し、初めて本格的に海の課題を学びました。持ち前の明るさとコミュニケーション能力を存分に発揮し、客席を巻き込みながら、学びを通して得た素直な気づきを分かりやすく伝えてくれました。

『伝える』ということをテーマの中心に置いた東京チームが選んだのは、なんと「一緒に客席に着席する」というスタイル。レストランという最終アウトプットを最大限活かし、自分たちのメッセージを伝えるにはどうしたらよいのかを考え抜いた結果のオリジナルなアイディアでした。

そしていよいよお料理の提供が始まります。内容は、メンターシェフである、【てのしま】林亮平シェフ、【御料理ほりうち】堀内さやかシェフとともに考案した、海の未来へのメッセージを込めた4品(前菜2品、定食、デザート)のコース料理。魚種の選定から調理法、しつらえまで、学生がアイデアを出し合いこだわり抜きました。

1.前菜 鰯の冷製油煮 トマトだれ

「旬のマイワシを油で低温調理し、夏らしいさっぱりとしたトマトだれをあしらいました。日本人にとって身近な魚のひとつ「マイワシ」は、令和5年現在、海面漁業において最も漁獲の多い魚です。しかし、実際人間の口に入っているのは3割程度で、多くが水産養殖用のエサや、農畜産業向けの飼肥料として利用されています。イワシを食する重要性を知り、イワシの価値をあげたいという思いで提供しました」

料理の説明を担当したのは、調理師学校に通う、まかな。彼女は、昨年のメンターシェフである【シンシア】石井シェフの思いに感銘を受けた”ファン”。絶対にこのプログラムに参加すると1年間心に秘め続けた熱い思いを胸に、キャンプ生への道を開いた学生です。水産資源の枯渇問題を、ユーモアとともに伝える料理を提供したいという一心で、メニュー作りを牽引してきました。

2.揚げ物:黒鯛の米粉揚げ 夏野菜あん

二品目に使用した「クロダイ」は、魚屋には並ぶことがあるものの、都心のスーパーであまり見かけることがないという現状に目を付けて、提供した魚種。

この場でクロダイのおいしさを知ることで、「魚屋」を訪れる人が増え、日本の魚食文化を支えている「魚屋」の重要性を見直すきっかけを作りたいという思いが込められています。

二品目の料理説明を担当したのは、のざー。大学では政治経済学を学びながら、卒業後はフレンチのシェフとなる道を志しています。人一倍真面目で、料理への思いが熱いのざー。クロダイへの米粉のまぶし方、揚げる温度、あんの固さ、出汁の風味、取り合わせる夏野菜の種類や切り方など、細部まで妥協することなく、納得がいくまで、徹底的にシェフたちと研究を重ねました。

3.お膳:マグロづくし

(血合いの煮つけ、山かけ、尾の身のつみれ汁、香の物、御飯)

メインとして提供したのは、資源が回復傾向にある太平洋クロマグロ・大西洋クロマグロの未利用部位を活用した、「マグロづくし」膳。

普段捨てられていることも多い血合い(太平洋クロマグロ)は、実は鉄分やビタミンB群が豊富で、調理法を「工夫すると」、非常に美味しく食べられる部位だということを学んだ学生たち。
生臭さや、食感のパサつきを抑えるため何度も試作を重ね、ほろりとした食感と、濃厚な旨味を感じる煮物に仕上げました。

お吸い物のつみれには、同じく未利用部位である、クロマグロ(大西洋クロマグロ)の尾の身を使用。尾びれを常に動かす回遊魚のまぐろの尾の身は、筋力が発達するため、強いうま味としっかりとした肉質が特徴。皮と身の間の筋はコラーゲンが多く含まれるため、加熱することで柔らかな食感となります。厳しい資源管理の成果として資源回復傾向にある、クロマグロの現状からの学びと、未利用部位をおいしく活用することは、一尾の価値をあげることにつながるというメッセージを伝えました。

三品目の説明を担当したのは、りゅう。最上級の血合いの煮物を提供する、という命題に、分子生物学を学ぶりゅうの分析的思考が光ります。偶然ではなく、日々確実に最上級の味を出したいと、調理工程には徹底的にこだわりました。「昨日の方が味が良かった、今日は悔しいけれど80点」。なぜうまくいかなかったのかを分析しては次に生かすという、トライ&エラーを重ねることで完成した一品です。

4.甘味:桃の水羊羹 海藻のレモン蜜漬け

甘味には、旬の桃を白あんと合わせた水羊羹に、海藻の蜜漬けをあしらった一品。海のゆりかごとも呼ばれる海藻類は、魚の産卵や子育ての場として利用されることも多く、海の生態系の中で重要な役割をになっています。

近年、そんな海藻が各地で消失する「磯焼け」が問題視される中、海藻類の重要性を見直したいと、デザートとして活用しました。


エピローグ「学生たちが残した3つのメッセージ」

はずむ会話に名残惜しさを覚えながら、レストランでの食事のひと時を終えたお客様。待合室に戻ると、そこには小さなサプライズが用意されていました。


冒頭、魚の姿が全くない、「ディストピア魚屋」として表現された魚屋は、色とりどりの新鮮な魚やメッセージボードが展示される「未来のための魚屋」に様変わり。

「今日は、皆さんに持ち帰ってもらいたいメッセージが3つあります。」

ガラリと雰囲気が変わった魚屋に目をきょろきょろさせるお客様を前に、まっすぐな眼差しでだいすけが口を開きます。

1.魚は無限にない

「サンマやイカの不漁のニュースは見るけど、スーパーにいけば魚は並んでいる。この矛盾に疑問も前は持っていませんでした。でもこの3か月で、「魚は無限にはない」ことを知りました」。

魚は、自然の力で増えていく「回復力」を持った天然の資源です。しかし、その回復力を超えて獲りすぎると減ってしまいます。、ブルーキャンプでお魚という資源を未来へ残していくために国が取り組んでいることや、「獲り過ぎない工夫」をしている漁業者と出会ってきた学生たち。日本の漁業は、まだ「資源管理」によって改善する余地があるということ、そしてそこへむけて流通や国民も一体となって取り組む必要性を訴えました。

冒頭のプレゼンテーションを担当したのは、大学で水産学を学んでいるわく。大学では水産養殖を研究、アルバイトは魚屋で、課外活動では水産の情報を広く社会に発信するという、自他ともに認める魚好きです。柔らかな表情や物腰と、やさしくソフトな声の裏側には、魚への深い愛情と、海や水産業が抱える課題をクリティカルに捉え分析する、熱い思いがみなぎっていました。

2.希望と現実の葛藤「モヤモヤ」

ポップアップレストランの開催にあたり、学生たちは「100年後も魚を食べ続けるにはどうしたらよいのか」という大きな問いを立てました。

3か月の学びの集大成として、学生たちが出した結論は、その答えは出せないという「モヤモヤ」でした。「魚食に関する日本の技術や文化がすばらしいこと、そして資源管理が重要なことはよくわかった。でも最適な資源管理の方法はまだわからないし、消費者に何ができるか、についても解が出せませんでした。」

第二のメッセージを伝えたのは、だいすけ。国際政治学を学び培ったマクロな視点をもとに、海や水産業の課題を広く理解し、鋭い分析を重ねくてきただいすけ。まずは身近な人に海の課題を伝えることで、一緒に考え、行動できる仲間を増やしていきたいと言います。プレゼンでは「モヤモヤ」の背景や葛藤の軌跡など、ひとつひとつのメッセージを大切に、噛みしめるように伝えていました。

海を守るためには「獲らない、食べない」ことが一番なのか??
いや、それでは魚食文化自体を否定することになってしまう。

資源管理の証としてのエコ認証魚を買うように勧めるのがよいか??

いや、それだけでは食べられる魚種が限定的になってしまう。認証がなくても、サステナブルな漁業を続ける漁業者がいる中で、『認証』の有無で魚や漁業者の良し悪しを決めるべきなのかがわからない。

それとも、資源が減っているなら養殖で増やせばよいのか??
しかし現状、養殖魚のエサには天然魚が必須であり、その漁獲が生態系に与える影響も大きい…。

様々なプレイヤーから海の現状を学んできたからこそ、「100年後も魚を食べ続けるにはどうしたらよいのか」という問いに対して、ひとつの最適解を出せなかったという学生たち。答えが出せないことは無責任だと感じ、大きな「モヤモヤ」が残った。それでも、学びの集大成として出した結論は伝えたいと、言葉につまりながらも、素直に葛藤とモヤモヤを表現した学生たちの姿に、涙ぐむ来場者も見られました。

3.知らなければ何も変わらない、知ることで何かは変わる

”知ることからでも、なにかは変わる。

考えることは、なにかを動かす。

前に進めば、波は立つはず。” (東京チーム制作の冊子『あおのほん』より)

分かりやすい答えは出せなかったけれど、3か月の学びを通して海の現状を「知る」ことで、自らの思考や行動が大きく変わったことを実感した学生たち。食卓に魚が並ぶ機会が増え、行ったことのなかった魚屋に自ら足を運ぶようになり、調理したことがない魚も積極的に調理するようになった。スーパーの棚に並ぶ魚がどこで、どんなふうに獲られ、どんな道のりを経てこの場まで運ばれてきたのかに思いを馳せるようになった。そのような変化を身をもって体感しました。

「今日ここで感じたこと、知ったことを、身近な人に話してみることから始めてほしいです。僕たちが感じた『モヤモヤ』の輪を広げ、少しでも多くの人に、海の未来に関心を持っていただけたら」と最後のメッセージを残しました。


魚が戻ると、笑顔が戻る

~日本中を『モヤモヤ』の渦に巻き込んでいきたい~

数時間前、魚の姿がなく、静まり返った「ディストピア魚屋」では、どこか不安げな表情を浮かべていた来場者のみなさま。

魚が戻った「未来のための魚屋」には、みなさまの笑顔が戻り、プレゼン終了後も、にぎやかな議論が続きました。

もちろん、今日明日で海の現状が変わるわけではありません。

しかし、『モヤモヤ』を伝え続けることで変わる未来はあると、「未来のための魚屋」が示してくれたように感じます。

豊かな海に魚が戻り、

漁師さんが誇りを持って漁を続け、

魚屋さんが威勢の良い声で仕入れた自慢の魚を紹介し、

さまざまな魚種が並ぶ私たちの食卓には、明るい笑顔がある。

そんな未来を作っていくため、日本中を『モヤモヤ』の渦に巻き込んでいきたいと意気込む学生たちのブルーキャンプは、これからも続いていくことでしょう。